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[ 113] 引用元 ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘
URL: http://sunact.jugem.cc/

ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘
日本唯一の緑化事業ベンチャー企業:サン・アクト株式会社。
サン・アクトの社長私自らが語る成功への挑戦と苦闘の日々。
そして、5人の子供達と妻との家族と共に、私を応援されている様々な方へのメッセージを伝えたく、
日々、できる限り思いを書き続けていきたいと考えています。
自然栽培農家:木村秋則氏との出会い、そして今、思うこと
明日、自然栽培農家「木村秋則氏」、彼の栽培手法確立までの苦闘が、夜10時のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介される。この機会に私と木村秋則氏との出会い、そして放送前夜の今、私なりに思うことを書くこととする。
最初の出会い:木村氏と私の父
青森県津軽地方の地元新聞である「陸奥新報」に掲載されたものが下の写真。今から約13年前の1993年8月2日に「農薬 むかし・いま 未来」と題した特集記事の中で木村氏の畑で「私の父と木村氏がリンゴの樹を前に語っている」風景が掲載された。
この頃から、木村氏との出会いは始まっていた。最初の出会いは私の父。当時、既に農薬や化学肥料、堆肥なども一切、使用しない木村氏の自然栽培農法は、ほぼ落ち着いた状態となっていた。収穫量も通常の農薬を使用したリンゴの70%程度までに向上。やっと安定的な栽培が見える状態となっていた。
しかし、木村氏を含め、リンゴ農家には共通の悩みがあった。それが「フラン病」。青森県では1970年代に「ふらん病まん延防止条例」という条例を設置した程、厄介な病害。
下の写真の中央部分の茶色に変色している部位がフラン病に罹病したことを示している。このように、剪定切口や傷口から病原菌が侵入し、リンゴの幹や枝が内部から腐り始め、腐朽がリンゴの樹全体に蔓延していく。そして樹勢(樹木の活力)が衰え始め、リンゴの樹が枯死(枯れて死んでしまう)してしまう可能性が高くなる。一度、フラン病にやられてしまえば、「処置するより伐採し、他の樹に蔓延することを防ぐ」というくらいの破壊力を持った病気。もちろん木村氏も「フラン病」に悩んでいた。
(木村氏のリンゴのフラン病罹病写真)
1970年代後半から「泥巻き法」という民間治療法を多くのリンゴ農家の方が試みられていた。「フラン病」に侵された周辺に泥を塗り、ビニールやポリエチレンなどのシートで巻き付けるという手法だ。しかし、高所などに泥を塗るためには二人がかりでやらざるを得ない場合が多く、泥巻き法は時間や手間がかなりかかるということや、すぐに剥がれ落ちてしまうなどの難点があり、根本的な解決策ではなかった。しかし、農薬を使わない木村氏にとっては、フラン病対策の唯一の方法・選択肢は「泥巻き法」しかなかった。
(実際に木村氏が自分のリンゴの樹の幹や枝に泥巻きしたもの)
泥巻き以外の対処策を模索
残念ながら「泥巻き法」は完全に「フラン病」を克服することができなかった。一時的にフラン病病害拡大を防ぐことができたとしても再発する場合も多々あり、木村氏は途方にくれていた。そんな時、ふとしたきっかけで、木村氏と出会い、私の父は木村氏の畑に出向いた。父にとって生まれて初めてのリンゴ畑。もちろん、そこら中のリンゴの樹に「泥が巻かれていること」に疑問を抱いた。
「これは何ですか、なぜ土を幹に塗っているのですか?」という父の一言、そして、あと一歩のところで自然栽培農法を確立できる段階にありながら「フラン病対策」に悩む木村氏の話から、この病害克服の重要性を父は初めて知った。そして、木村氏の無農薬栽培の完全なる成功に協力すべく「泥巻き」に変わる手法を木村氏と共に模索する毎日が始まった。これが冒頭の陸奥新報の記事と繋がる。まったくのリンゴ栽培の素人である父が、農家の皆様とまったく違った視点で、かつ農薬成分を一切使用しない病害対策を考えたことにメディアも着目した。重複になるが今から約13年前のことだ。
1993年は、私が米国のビジネススクールを卒業し2年ぶりに帰国した年。自宅に戻っていた私は、なぜか頻繁に青森の木村という名前の方からファックスが毎日のように送られていたことに、少しばかり疑問を持ちながらも、深くは考えてはいなかった。ただ、ファックスの内容だけは、目を通していた。「木村さんという人は独特のきれいな字体だな」とも思っていた。
(その後、木村氏が学生時代「筆耕部」というクラブに属していたことを知り、彼の独特の自体の理由が判明した。)
そして、父が常務をしていたホテルへ93年6月に就職。しかし、11月には青森へ単身で赴任することを命令された。ホテルマンとしての私は、実質半年。青森という私にとって初めての雪国での一人暮らしに準備に約1ヶ月程、要した。
東京から最終便の飛行機で青森空港へ到着した日。市内へ向かうバスの窓に映る真っ暗な雪景色に、1年前の米国滞在時とのギャップに僅かばかり挫折感のようなもの、いや途方に暮れたといった感を抱きながら、弘前駅近くのホテルに到着。そして、この日から約5年間以上、私は雪国で生活することとなった。
(木村氏のリンゴの幹切口に塗布剤を刷毛で塗っている私)
我々が考え出したフラン病対策は、人間も口に入れることができる「ワサビの抗菌作用」を利用したもので、私が青森に赴任した時には、木村氏と父の努力で、ほぼ開発終了。既に93年秋には特許も「発明者」として私の父と木村氏と連名で出願(出願者は私の父単独)されていた。ただ、商品化や製造などはまだまだ手付かずの状態。私が単身でゼロから商品化を任された。
少しずつ、木村氏の力を借りながら
当初、まったく土地勘の無い私は、木村氏の人脈に大きく依存するしか手段が無かった。塗布剤製造工場も木村氏、木村氏の奥様、そして父や私だけで手作りで完成させた。また、知り合いの農家や大学の先生を紹介いただき、少しずつ、ワサビの塗布剤は、津軽地方で知れ渡るようになっていった。そして、開発が終了したこのワサビの塗布剤「樹木の味方」を剪定後の切口に塗布することで、木村氏のリンゴ栽培はさらに安定化していった。木村氏も最初は「ワサビの抗菌作用」を理解しながらも開発当初、半信半疑だった塗布剤だったが、今では、彼の栽培に欠かせない解決・向上策の一つとなっている。
(製造工場建設作業後、木村氏、奥様と私で食事をしながら団欒。木村氏・奥様とも当時は、まだまだ黒髪だった。)
しかし、京都人であり、慣れない津軽弁に格闘する日々は、そんなに順調ではなかった。一軒ずつリンゴ畑を回り、剪定切口などに塗布剤を無料で塗るサービスを行い、数ヵ月後に再訪。効果があれば買ってもらうという毎日を約1年間過ごした。もちろん、青森だけでなくリンゴを栽培している東北地方すべての県のリンゴ畑を車で回った。
そんな私の姿を木村氏や彼を支える友人は暖かく見守り続けていただいていた。週2、3回は、木村氏や彼を支える友人と町で酒を飲みに行き、その場でも様々な方々を紹介いただいた。また、営業に疲れた時は、木村氏の畑で世間話をするためだけに通っていたことも多々あったが、いつも木村氏と奥様は栽培・作業の手を休ませ、私の相手をしていただいた。
1993年の冬に青森に赴任し4年後の97年。ビジネススクールで経営を学んだが、リンゴについてはまったくの素人だった私。そして、人脈が皆無に等しかった私。しかし、木村氏や周辺の皆さんのご協力、4年間の私なりの努力の結果、地元紙に毎週、広告を出すまで「樹木の味方」の認知度は高まった。
(97年春頃、広告写真撮影後の記念撮影。撮影したカメラを中心に、写真左はカメラマン、中央に木村氏、右は当時生まれたばかりの長男を抱いている私)
そして1998年の終わり頃、私は京都へ戻り、塗布剤販売だけでなく、天然記念物など樹木そのものを環境に配慮した独自資材活用による「樹木保護事業」を展開するまでに至り、今では日本最大級の装置を使った「最新非破壊画像診断」といった当社独自の事業や多分野の緑化事業を展開するまでに至っている。
93年秋に木村氏と父を発明者とした「ワサビの抗菌作用を利用した剪定切口等に塗布する保護方法」は、「泥巻き法」の大幅な時間短縮、他の農薬系塗布剤より癒合組織成長が早いといった点が評価され、米国・韓国で特許認定。2002年、出願から9年後、やっと日本でも特許が認定された。
明日、夜のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に木村氏は出演される。今までも様々なメディアに紹介されてきたが、今回の番組が最大規模のものとなる。
うれしい反面、複雑な思いもする。目を閉じれば、初めて木村氏と出会った日、酔いつぶれた木村氏を何度も介抱した夜のひとコマ、そして青森から京都へ戻る時、木村氏を筆頭に50人近い方々に送別会を開いていただいた夜など、数限りない想い出が浮かんでくる。特に社会人として、何でも吸収できた20代後半から30代前半の私の人生は、「青森」、そして「木村秋則」という人間が大きく存在している。
明日の放送で、「木村秋則」という人物、生き様を初めて知る方々が日本中に存在することとなる。多くの方が木村氏のリンゴにかける想いや情熱に触れ、人それぞれ、様々な思いを描くと思う。ただ、青森に滞在し、それから約10年。毎年、秋の収穫時期には我々も木村氏のリンゴやリンゴジュースを販売させていただいている。そして、彼が無農薬栽培をすると決意した数十年前から、彼を協力し続けたご家族や彼の友人という大きな存在。
主人公は木村氏だろう。しかし、木村氏を何十年も支えてきた脇役の存在を、決して誰も忘れてはいけないと私は思う。そして、木村氏こそ、多くの脇役の方々の思い出を心から思い描きながら、放送前夜の今、一人、酒を飲んでいるはずだ。
今も木村氏が無農薬栽培実現のために欠かすことができない存在となった「樹木の味方」。今では、全国各地の農家の皆様だけでなく、剪定切口保護や各種公共事業など都市緑化の採用いただくまでに成長した。これも、父との偶然の出会い、そして木村氏の協力が無ければあり得なかったこと。
最後に、私から木村氏へ今までの御礼も込めたメッセージを書き、終わりとしたい。
木村さん、今までお疲れ様でした。そして番組出演、心よりお祝い申し上げます。無理せず自然体で、これからもご活躍下さい。私も木村さんとの5年間が忘れられない人生の大きな一場面であることはこれまでも、これからも変わりません。
今回の番組出演を契機に多くの方々が、自然の偉大さ・複雑さを再認識され、自然や環境、食の大切さ、そして樹木の存在意義を改めて考え直す、見つめ直す方々が増えることを心より祈念しています。
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今回ご紹介した画像の無断転載・複製は一切禁止致します。
深夜のポスター大作戦
昨晩は風邪薬をもらうため19時30分頃というかなり通常より早い時間に会社を出て、病院へ。20時ぎりぎりに薬をもらうことに成功。ちょっと時間があったので、子供たちがいつも遊んでいる近くの公園へ探し物をするため、直行。公園で、小さめのグローブを発見。少しの間、どうするか躊躇したが、そのままにして帰宅。これには深い理由が実はあった。
12月2日の土曜日。妻は午前中から用事で外出。私は子供たちと自宅近くの道路で軽くキャッチボールを。その後、妻から携帯へ連絡があり、昼を過ぎても帰ることができないため、昼食を作って欲しいとの依頼が。私は、「了解」と答え、キャッチボールをやめて自宅へ。長男・次男・三男は、その場で引き続き遊んでいた。
十数分後、長男が帰宅。昼食作りを手伝いに来たとのこと。約30分後、次男・三男も帰宅し、さらに昼食作りの手伝いが増えることに。その後、無事、「お父さん特製あんかけラーメン」は完成し、5人の子供たちは2杯から3杯のおかわりをして終了。
私は、2階の自室に戻り、少しして1階の子供たちを見ると長男は早速、近所の友達の家に遊びに行った様子。次男・三男のキャッチボールの続きをしようというお願いを聞くべく、いざ、ボールやバット、グローブを置いている玄関先を見ると、長男のグローブが無いことを発見。「グローブを持って遊びに行ったのだろう」と結論付け、軟球ではない柔らかいボールで野球を開始。
夕方、長男が帰宅。しかしグローブを持って遊びに行ったわけではないことが判明。結局、昼食の手伝いをしに次男・三男が帰宅した際に、長男のグローブを持って帰ることを忘れたという結論に。その後、近くを探し回るが、グローブは見つからず。日曜や月曜に友達にグローブを知らないかと聞くことで一旦、終了。
上述したように、近くの公園に、もしかして長男のグローブがないかと探しに行った私。帰宅後、近くの公園には無かった旨を子供たちに話すと、長男ももう一つの公園に探しに行ったが無かったとのこと。そして、小学校の同級生も誰もグローブについては知らなかったとの残念な追加情報も。
20時半頃、私が夕食を食べ終えると、何やら、長男・次男が下書きを開始。妻に聞くと、「グローブを探しています」というポスターを現場周辺に張りまくる作戦をすると決めたとのこと。悪戦苦闘している長男・次男(もう一人の関係者である三男は既に熟睡)に、ポスターの見本をある程度、私が提示し、無事、長男・次男それぞれ手書きのポスターを完成。
2枚では足りないため、コンビニでコピーすることを関係者一同の会議で決定。長男・次男は寝間着から外出用に着替えることに。それを見た四男と末娘も、何しに行くのか分かっていないながらも参加を要請。結局、4人の子供たちと21時過ぎに寒空の中、コンビニへ。コピーの結果、2枚の原紙ポスターに加え、合計5枚のポスターが完成。その後、長男・次男と自宅前や現場付近に「グローブを探しています!! おこころあたりの方は「こじま」まで」と自宅地図も書き込んだポスター張りが終了。時、既に22時前。早く寝なさいと、言い聞かせ、私は自室に入り、仕事再開。
仕事へ行く準備をしていると、外から子供たちの声が。
「こっじ〜、グローブ無くしたん?」(小島君、グローブ無くしたの?)
「バットやったらあるでぇ、余りが」(バットなら、余っているよ)
「バットやないねん、グローブやねん」(バットではなくグローブが無いのだ)
こんな会話が盛んにされていた。少なくとも長男・次男お手製のカラフルなポスターは、それなりの効果を上げた模様。
「うん、うん、きっと何とかなるな」と私は確信し、会社へ。何といっても近所ではそれなりに様々な意味で有名な我が家。窓にはお祭りで買った「仮面ライダー関連」や「何とかレンジャー」のお面が10個以上、付けられており、「あぁ、あのお面がたくさんあって、子供さんもたくさんいる家」という表現が、我が家の代名詞である。
現在、夕方17時過ぎ。ポスター大作戦の結果を聞くべく、自宅へ電話。こういう事件は初動捜査で大勢は決定するもの。
「お父さんです、グローブあった?」と私。電話に出たのは次男。
「グローブあった。隣のおばちゃんが持ってて、ポスター見て、お兄ちゃんに渡してくれた」とのこと。
予想以上の早い結果、いや予想されたことかもしれないが、ポスター大作戦をしなければ、結果は出なかったことだけは明らか。これで、長男だけでなく、子供たちは数週間は、グローブやバットを必ず持って帰るだろう。しかし数ヵ月後には、再発するとは思う、今までの経験から。
ただ、子供たちにとって初めてのポスター大作戦が無事、成功という体験・経験は、今後の彼らにとって何らかの糧になったはず。そして、誰か友達が遊び道具を無くした場合、そして、誰かの遊び道具を見つけた場合も、ポスターを使って探し物や見つけ物を告知するに違いない。
ただ、「あぁ、あのポスターを良く使う子供たちのいる家」という表現が我が家の代名詞になることだけは避けたいとは思う。恐らく大丈夫と思うが。
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11月の私のサイトの検索ワードランキング
毎月恒例の検索ワード発表です。11月はあまり多方面(経営や環境、教育)などの検索語句ではなく、いつもよりもシンプルな結果となりました。
1位:ベンチャー企業
8位:フォロワーシップとは
10位:早寝早起き朝ごはん
1位はいつも通りです。3位の「逆上がりのコツ」は、先月もトップ10に入りましたが、なぜこの時期に「逆上がりのコツ」をネット上で検索されるのか少々、不明です。4位の「男前豆腐店」もまだまだ根強い人気のような感があります。6位の「てんぐす病」はソメイヨシノなど、サクラの大きな病害の一つで、私のサイトでも「テングス病」とカテゴリをつくり、それなりの記事を書いています。
「テングス病」の私の記事が参考になるかは不明ですが、「テングス病」自体が完全に解明されていないことの方が重要なことなのです。農業など農作物の病害はアカデミックな分野で様々に解明されています。なぜなら、農業という大切なマーケットがあるため、研究者も結果を出すことで評価されるわけです。しかし熱帯雨林や森林という大きな枠組みでの研究はなされていますが、「単木」という観点、一つの樹種の病害は、あまり日本では研究されていません。研究しても評価されないという背景があるからで、仕方が無いと言ってしまえば簡単ですが、これが現実なのです。対象が日本の風物詩の一つであるサクラであったとしても、あまり病害という視点からは研究されていません。
7位の「経営者の資質」は、過去に「経営者の資質、スピーチ」と題したエントリが該当します。このエントリでは、せっかくの機会なので自分を売り込むために時間に関係なくスピーチをし続けたというエピソードを掲載しています。8位の「フォロワーシップ」は、「リーダーシップとフォロワーシップ」というエントリが該当します。気に食わない上司を部下である自分(フォロワー)として、上司をうまくコントロールすることがフォロワーシップなのですが、時代を少し感じさせる検索ワードと言えるかもしれません。9位の「おもしろい占い」は「テレビ欄占い:これはおもしろい!!」なのですが、多くのブロガー各位も参加いただいた、本当におもしろい占いでした。10位の「早寝早起き朝ごはん」は、「早寝早起き朝ごはん」全国協議会という団体が官主導で発足し、国民運動化しようという点について、それはおかしいのではないかと私なりにエントリした「早寝早起き朝ごはん全国協議会に思う」が該当します。
木村秋則氏関連の検索ワード
2位の「木村秋則」、5位の「奇跡のリンゴ」は、自然栽培リンゴ農家「木村秋則氏」に関するものですが、Yahooで「木村秋則」と検索すると、現在は、「関連検索ワード」として、「木村秋則 リンゴ」・「奇跡のりんご 木村秋則」といった感じで表示されます。数ヶ月前には無かったのですが、昨今の木村氏のメディア露出で、検索サイトで木村氏を検索される方がかなり増えてきているということでしょう。
11月30日にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で次回予告編として木村氏が紹介されました。その直後から「木村秋則」と検索し、我々の「通販サイト」のアクセスが急増。1秒間に数十名といった感じでした。そして23時過ぎにTBSニュース23の特集で15分程度、木村氏が紹介されました。この放送が始まった瞬間に、またもやアクセスが急増。深夜にも関わらず7000名程度の方が通販サイトにアクセスされました。現在も高アクセスは続いていますが、11月30日から2日間で約1万5千人の方が来訪されたという結果となりました。
12月7日のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の放送後、どれほどのアクセス、反響があるか予測はつきませんが、極めて恐ろしい結果となることは間違いないと思っています。
こちらの書籍を著者の一人である藤代氏より頂戴しました。まずは御礼申し上げます。書評など書く立場にありませんが、時代はネットという存在によって、確実に変わったことだけは言えるでしょう。
私は15年程前に米国のビジネススクールで経営全般だけでなくマーケティングも学びました。ハーバードのケーススタディ(=事例研究、以下、ケース)を何百も読み、色々と議論しました。しかし、当時はインターネットも無く、MS−DOSの時代。ケースにもネット関連の事例など皆無ではなかったかと記憶しています。換言すれば今のビジネススクールならネット関連のケースは避けて通れないとも言えるでしょう。
今回、頂戴した書籍には「正直」をキーワードに、無意識の内に既に我々の生活に入り込んでいる(と、私は理解しています)Web2.0について口コミマーケティングという切り口で様々なことが書かれています。上述したように、「木村氏」がメディアに出た瞬間、単なる予告編でもネットですぐに検索し情報を得ようとする人が確実に存在することを実際に経験しました。マーケティングやプロモーションとは関係ありませんが、「木村秋則」と検索し、多数の記事群から確かな情報を得ようとする行動、そこには「正直なサイト」が必ずいくつか存在しています。もちろん「不正直なサイト」もあるかもしれません。ただ、正直に発信しようとする人々、そして「このサイトは正直だ」と判断できるリテラシーを持つ人々がこれからは増えていくことは間違いないでしょう。逆に「不正直に情報発信する人々」も増えていくことも間違いありません。この点が「ネット」という広大な誰も規制できない世界の証左なのかもしれません。
(詳細は是非とも、今回、ご紹介した書籍をご購入いただきご覧下さい。)
以上、テレビという今では旧メディアに属しているモノに、少々、予測が付かない不安を感じている私の恒例の検索ワード発表でした。
本当にどれだけのアクセスが12月7日以降あるか、報告できればエントリする予定です。エントリできなかった場合は、「あまりのアクセスや問合せにそれどころではない」ということとなります。陰ながらの応援をよろしくお願いいたします。
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「奇跡のリンゴ」と放送されたた木村秋則氏のリンゴの販売について
これらの放送をご覧になられ、YahooやGoogle等の各種サイトにて「奇跡のリンゴ」・「木村秋則」といったキーワードで検索され下記に該当するサイトにアクセスされた方、そして、木村氏の昨今のメディア露出に関係なく、数年以上も前からご注文を頂戴していた皆様へ。
私が、社会人として米国留学後すぐに赴任した場所が青森という雪国でした。もう15年程前のことです。当時、木村氏を「かまどけし=破産者」と言う人は残念ながらまだまだおられました。しかし私は、偏見も損得勘定も無く木村氏を応援しているグループと共に楽しい日々を過ごしていました。その当時、懇意にしていた中の一人で、デザイン会社社長の成田さんが撮影された木村氏の写真が、下記です。
(20年近く前の若かりし木村氏の当時、数少ない写真です。)
「日本唯一の完全自然農法(無農薬・無化学肥料)「木村秋則」」というサイトに今までの木村氏の無農薬リンゴ栽培までの日々を掲載しています。
当社独自の通販サイトである「サン・アクト通販」、そして、昨今の木村秋則氏のメディア露出によって多数のお問合せを頂戴したため、独自に下記のサイトを開設しました。
「無農薬リンゴ自然栽培農家:木村秋則さんのリンゴ・リンゴジュース通販サイト」
「ショップブログ:不可能を可能にした男:無農薬リンゴ栽培農家「木村秋則」」
当社が運営しております通販サイト「無農薬リンゴ自然栽培農家:木村秋則さんのリンゴ・リンゴジュース通販サイト」に詳細を記載しておりますが、ご購入を希望される方が極めて多数になると判断し、次回の品種である「ふじ」につきましては、抽選による販売と致しました。
今までのご注文方法とはまったく異なった形態となりますが、何卒、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
通販サイトにも記載しておりますが、ここにおいても再掲致します。
(応募者数が2000名様を超えた段階で事前に終了させていただきます。)
受付期間中にショッピングカートにてお客様のお名前、ご住所等を記載下さい。ご予約を受け付けた方には、当社より予約抽選番号をお知らせいたします。「当選発表につきましては、年明けの「ふじ」の収穫量が確定した段階で、当選されたお客様のみ、メールにてご連絡」させていただきます。
(よって「ふじ」の発送も来年となりますことを予めご容赦くださいませ。)
「お一人様5kg箱1回のみの受付」とさせていただきます。お名前、ご住所、メールアドレスなどから、複数のご注文と当社で判断した場合には、全てのご注文を無効とさせていただきます。なるべく多くのお客様にご利用いただけるようご理解とご協力をお願いいたします。抽選方法などに関するお問い合わせは一切、お断りさせていただきます。ご了承くださいませ。
本件についての詳細、及び今後の変更等につきましては「通販サイト」をご覧いただきますようお願い申し上げます。
皆様にご迷惑がかからないよう、できる限りの準備を致しております。ただ、現時点では、番組の反響等が予想できず、販売方法等について何らかの変更があり得ます。この点につきましても予めご容赦くださいませ。
以上、ご理解の程、何卒、宜しくお願い申し上げます。
サン・アクト株式会社 代表取締役 小島愛一郎
現在、TBSニュース23の特集放映後、数千人単位の皆様が「通販サイト」に来訪されています。また、多数のお問い合わせを、メールにて頂戴しておりますが、「木村氏の今後の販売は上記の通りであり、お問い合わせや事前予約などを頂戴しましても一切、お答えできません。大量生産できるものではなく、生産量の限られた農産物であること」をご理解下さいませ。何卒、ご容赦を賜りますようお願い申し上げます。
「無農薬リンゴ・リンゴジュース」
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人生を結果として計画通りに成し遂げられた方に思う
今日、私宛に一通の葉書が。今までお世話になった京都の誰もが知っている有名大学を昨年、退官された先生から。7、8年前からのお世話になり、静かな面持ちでありながら、時には鋭い示唆を何度も頂戴した。
先生の専門は「熱帯森林学」。何度もフィールドワークとして熱帯地方へ調査に行かれていた。私が副理事長を務めるNPOの理事も退官まで担っていただき、我々の事業の協力や、「琵琶湖疎水」でのNPOと我々の共同研究などにも、お忙しい中、何度も参加いただいた。
大学を退官され、約半年程の今日。先生の葉書にはマレーシアの農学の専門大学の客員教授として12月から赴任されるとのこと。奥様も一緒にマレーシアで滞在されると書かれていた。京都の大学で数十年間、教鞭をとられ、数々の実績を残され、そしてフィールドワークで何度も行かれた場所に奥様共々、じっくりと研究生活を続けられるということ。静かな文面だが先生の喜びが満ち溢れたような葉書だった。
研究者としては最高の人生ではないかと私は思う。退官後、どうされるか先生に聞く立場に私は無かったが、一枚の葉書で、本当に素晴らしい人生の再スタートを迎えられることを知った。先生の奥様も幸せに違いない。
世の中には、いろいろなアプローチで人生や仕事などの自己実現の方法が紹介されている。もちろん私はこれらの手法を否定する立場には無い。ただ、先生の研究者としての生き方には、計画など無かったのではと私は思う。それよりも「研究」というものを常に無心で続けられ、結果として、今回の新たな道を独自で切り開かれたのだと思う。
私も、私なりに人生の計画がある。仕事を引退した後の計画もある。私は引退後、小さなカフェ付きの本屋を開き、本好きの若者たちがゆっくりと過ごすことができる場を提供したいと考えている。カフェでは妻が協力してくれる。
5人の子供を育てること、引退後の我々夫婦の生き方もお互い合意し、今まで生きてきた。しかし、結婚後、予想だにしない出来事が重なっている。私のこのサイトをご覧になっている方は、ある程度、私の過去についてご存知と思うので、深くは書かない。ただ、普通の人なら、まず経験できないような出来事を体験している。
計画通りに人生が突き進むこと、それを予測することは不可能なこと。ましてやあと25年ほどの私の引退後の生活など、想像すらできない。ただ、今回の先生の葉書には、「無心で続けること、やり遂げること」で、結果として良き人生を迎えることができるということを教えられたような気がする。
まだまだ、私の人生は、誰に誇れるものにもなっていない。ただ、お蔭様で、5人の子供たち、そして我が妻と、順風満帆とは決して言えないとしても、毎日を生きている。生きさせていただいているだけでもまずは幸せなこと。
そして、生き続けさせていただけることはもっと幸せなこと。これからも、毎日を懸命に生き続け、少しずつ階段を目に見える形で上っていくことができればなと、今日の先生の葉書を拝見しながら、再認識した。先生のようになりたいとも思った。そして、我が家族も先生のような結果をいつか残したいなとも思った。だから、私は、毎日を懸命に生き続けなければならない。単純なようで一番、難しいことである。
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まもなく誕生日を迎える次男坊君へ
まずはお誕生日おめでとう。君とお兄ちゃんだけが青森県の弘前市というところで生まれました。他の弟達や妹は京都で生まれ、お父さんも京都で生まれました。弘前市の記憶はまったく無いかもしれませんが、いつか自分が生まれた町に家族みんなで行きたいなとお父さんは考えています。
お父さんは、小学生の頃、真冬でも半ズボンで学校に通っていました。君も、寒い中、Tシャツ一枚で外で元気に遊んでいる姿を見て、「寒さにだけは強い」ということがお父さんと同じでうれしく思っています。みんなが騒いでいる間、お兄ちゃんは静かに一人で本を読んでいますね。本好きということがお兄ちゃんとお父さんは同じです。他の弟達や妹は、まだお父さんと似ているところがあるかどうか分かりませんが、彼ら、彼女らも君のように年を重ねると、何かお父さんとの共通点が見えてくるかもしれませんね。でも、誰もが言うことは「兄弟みんな同じ顔」ということ。お父さんは、みんなそれぞれ顔が違うと思うのですが、普通の人から見れば、みんな同じ顔のように見えるそうです。ちょっとおもしろいですね。そういえば、君もお兄ちゃんも、三男君も「こっちー」とか「こっじー」というあだ名で呼ばれていますね。小学校のグランドで「こっじー」と誰かが呼んだら、三人みんなが振り向いたということもあったそうですね。
さて、最近、君に聞いたら、大人になったら「サッカー選手」になると言っていましたね。お父さんは、まったく知りませんでした。でも、放課後、小学校のグランドで友達たちと下校時間になるまで、サッカーの練習をしているとお母さんに聞きました。お兄ちゃんは「お寿司屋さん」か「ステーキ屋さん」、三男君は「野球選手」と、それぞれ将来、何になるか決めていますね。これから、将来、何になりたいか、変わっていくかもしれません。変わることは何一つ悪いことではありません。それより「将来、何になりたいかを常に気持ちとして、目標として持ち続けること」が大切なのです。そして、君も含め、お父さん、お母さんの大切な子どもたちが、もう少し大人になって、「これをやりたい」と宣言してくれれば、その実現に向けて、できる限りのことをしていきます。でも、やるのは君自身です。このことを忘れないで下さい。
もっと君が小さい頃、「消防士になりたい」と言っていましたね。お父さんは、君も知っている近くの消防署へ行って、「息子が消防士になりたい」と言いました。すると消防署のおじさんは、「消防士になるための書類」を出してくれました。お父さんがもう少し詳しく事情を説明すると、書類ではなく、たくさんの消防車や消防士さんのポスターをくれました。覚えていますか? 今はありませんが、お父さんの部屋に消防車のポスターばかり、張られていたことを。
先週のお休みの時、お父さんと二人でプラモデルを買いに行きましたね。本当はお誕生日のプレゼントは誰も無く、誕生日はご馳走とケーキだけということは君も知っているはず。でも、お父さんはうっかりとそのことを忘れて、プラモデルを買うことを約束しました。一人でプラモデルを完成させられるかなと思っていましたが、ちょっとだけ色を塗る時にお父さんが手伝っただけで、ほとんど君一人でやり遂げましたね。数年前には想像もできなかったことで、君の成長ぶりを確かに見ることができました。
(次男坊、半日を要した大切な作品)
ここまでお父さんが書いてきたこのくらいの文章は、君はもう読むことができると思います。ただ、これから大人になるに向かって、お父さんなりに思うことをこれから書きます。少し難しいことですが、いつの日か、これから書くことを理解し、実行する時が来るとお父さんは確信しています。そして、これから書くこと以上の男に君はなっているとも確信しています。
いろいろなことに興味を持つ
今、君はサッカー選手になるために、毎日、学校で練習していますね。また自由研究がきっかけで、世界中のカブトムシやクワガタの名前を覚えました。こんなふうに、ちょっとしたことで、興味が増え、いろいろなことを知るという楽しさを身に付けましたね。この楽しさに関係のあることなのですが、少し難しい言葉、「知的好奇心」。
お父さんがいろいろとお仕事でお世話になっている大学の先生は、60歳や70歳くらいの年齢の方ばかりです。おじいちゃんと同じくらいの人たちです。おじいちゃんも毎日、まだお仕事をされていますが、大学の先生方も、外国に行ったり、毎日、研究や新たな発見をされています。ある日、「どうして先生は、そのお年になられても研究を続けられるのですか?」と聞いたことがありました。その時、先生は「まだまだ知的好奇心があるから」と答えられました。
常に、「これはどうしてこうなるんだろう」、「どうしてこれはこうならないのだろう」というように、いろいろなものに興味を持ち、そしてその理由を探っていく。お父さんはこの態度は本当に大切で重要なことだと考えています。できる限り、いろいろなものを見て、わからないことは自分で調べる。こんなことを今から、そして大人になっても続けていけば、きっと君自身の毎日が楽しく充実したものになるとお父さんは考えています。
いろいろな人と出会う
我が家は5人兄弟。お父さん、お母さんをいれて7人家族です。今、君はお兄ちゃんの友達や三男君の友達など、違う学年の人たちと毎日、一緒に遊んでいますね。お父さんはこのことを非常にありがたく思っています。お父さんは知ってのとおり二人兄弟です。お父さんの弟の友達と小学校の時、遊んだことはありますが、中学生になってからは、弟の友達と遊んだ記憶はありません。しかし、君の場合、まだ数年は、きっと5人の兄弟の友達、それぞれと一緒に遊んだり、喧嘩したりするでしょう。
大人になっても、自分の周りにいる身近な人や同じ年代の人だけでなく、いろいろな人と出会ってください。少し難しいですが「価値観」という言葉があります。人はそれぞれ自分なりの考えを持っています。君がおかしい、変だと思うことも、他の人にとっては当たり前な場合があります。大切なことは、自分自身がこの人の考えややり方は、「変だ、おかしいと思う」ことや、「自分はこう思うから君もこうしたら」と自分の考えを押し付けることではなく、「この人はこんな考え方を持っているんだ」と理解し認めることです。できる限り、多くの人達と出会うことで、「多くの考え・生き方」というものに出会います。「多くの考え・生き方」を知ることで君自身の考えや生き方はさらに深まっていきます。良いと思うことは自分も実行すればいいのです。そのためにも、多くの人と出会い、話をする時間を持ってください。
これはお父さんが、まだまだできていないことです。だからこそ君にはやって欲しいとお父さんは思っています。お父さんは「今日できることは、今日中にやる」という性格です。まだまだ時間があったとしても、今日中にできることはその日にお父さんは、やってしまいます。ただ、楽なこと、簡単なことから始めることが多くあります。そうではなく、時間のかかること、難しいことを先にやり終えてしまえば、結果として、「今日中にやったことの中身が、より一層、充実する」とお父さんは考えています。
誰しも、どんな人にも平等に与えられている唯一のモノが「時間」です。誰にとっても1日は24時間で、必ず、次の日が来ます。言い換えれば、「今日」という日は、誰も取り戻すことができない大切な時間なのです。今日が昨日になる前に、「あぁ、今日も一日、精一杯生きた」と思うような毎日を過ごして欲しいとお父さんは思います。これは本当に難しいことなのです。「今日という時間は絶対に取り戻すことができないもの」ということはお父さんも知っているのですが、どうしても「精一杯、今日も生きた」と毎日、思うことができません。
いくら「今日できることを今日やり終えた」としても、中身が伴わない限り、「精一杯、生きた」と言えないのです。言い方を変えれば、「精一杯、生きた」と毎日、思うことができる人間は、「人生そのものが精一杯の塊」になります。難しいことですが、チャレンジしてみてください。「明日があるから、今日は適当に過ごそう」と考えることは誰でもできます。そして一度、そう考えれば、毎日がそのような連続になりがちです。このことも知っておいてください。
さて、いろいろと書きました。お父さんの反省も込められています。
まずは、今度の日曜日、君の以前からのリクエストである「回転寿司」屋さんに行って、家族みんなでお腹一杯になるまで食べ、楽しい時間を過ごしましょう。
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会話が不必要と思う時こそ話をすべきだと思う
普通なら会話をしない場面でも積極的に言葉をやりとりすることで、お互いが楽しくなり、円滑、良好な関係の構築が、いつか思わぬ良い結果を生むと私は考えています。今回は、最近の人とのやりとりについてエントリするとします。
今朝方、某大手証券マンが突如として来社。突撃営業です。
「社長、ブログ拝見しております」と名刺を差し出し、最初の一言。
「お恥ずかしい限りで、参考になることは書いてませんよ」と私。
「いえいえ、社長のお考えなどが良く分かります」と証券マンの青年。
「最近、この地区の担当になったご挨拶ということで」と証券マン。
「今は市場は不透明なので、また、次の機会に」と話を変える私。
このように、営業トークの切り出し方として「ブログを見ている」ことをお話されたわけですが、ブログを見ているから何でもOKというわけにもいきません。ただ、お世話になっている様々な企業の方々も勤務時間外の自宅で楽しみに見ておられるようです。また、電話でお客様から「社長、ブログ見てますよ」と言われ、こんな方まで見られていたのかと驚いたことは多々あります。
初対面の方々の大半が、「社長、ブログ見てますよ。」で始まることが多く、会話の糸口としては、かなり有効のようです。また上述したようにまさかこの方がと思うような方々が私のこのサイトに来訪されていることには、いつもながら驚きます。このあたりが、実名の社長ブログの最大の利点かもしれません。今回の証券マンの突撃営業も、私がブログを書いていたからこそ、容易な営業トークが切り出せたわけです。
この例では、このエントリのタイトルである「会話が不必要な時こそ話をすべきだと思う」とは正反対に積極的な会話が証券マンには最低限、必要ですが、ブログの効用の一つの例としてご紹介しました。
大手宅配便ドライバーの例
我々は通販や代理店向けに商品を直送する場合が多々ありますが毎回、現金払いです。以前までは、月末に締めて翌月末に口座振込という通常の取引形態でした。しかし、過去に一度、発送に間に合わない時があり、口座振込の宅配便業者さんから、今、お世話になっている別の宅配便業者さんに依頼したところ、非常に安い価格で発送してもらい、その後、この業者さんに現金払いで毎回、お願いしています。
かなり昔、なぜ、そんなに安くしてくれるのかと聞いたところ、「私は現金払いのお客様にはできる限りサービスしたいと考えているからです」と言われました。これ以後、ここ数年はこの宅配便業者というよりも、いつも集荷に来てもらうドライバー個人に惚れ込んで、集荷をお願いしています。ドライバーと私の信頼関係で、価格は成立しているとっても過言ではありません。厳密にチェックすれば、どうみても「ドライバーの裁量を逸脱している程、安く」してもらっています。
以下、ドライバー(D)、私との会話のやりとりです。
今日は合計50kg程の発送。夕方にドライバーが集荷で来社。
D:「昨日の昼、三条通りを走っておられませんでした?」
私:「違います。それより昨日22時頃、三条通り走ってたでしょ?」
私:「焦っているのかなと、追い越してもらおうかと思いましたよ。」
D:「社長、スイマセン。もう遅かったので早く終わらせたくて。」
と、いろいろと会話をしながらも荷物の金額が決定。
D:「はい、それではこれだけの金額をいただきます。」
私:「本当にいつも安くしてもらって、ありがとうございます。」
今回もかなり安くしてもらったため、一緒に荷物を運ぶことに。
私:「またまた、ご冗談を。商売できないでしょう。」
そして、トラックの中を見た私。
私:「いろいろと入ってますね。これからお歳暮もあるし。」
D:「通販なんてほとんど不在でひどいですよ。」と愚痴る彼。
(本来はもっと愚痴を聞いたのですが過激な内容のため省略。)
私:「荷物の取扱量で給料も決まるんでしょ、我慢して。」
D:「そうですけどね。3割以上は不在なんで、少しは愚痴も・・。」
通常なら、集荷を単に依頼する時、私のようにここまでドライバー相手に世間話をする人も珍しいでしょう。しかし、ドライバーである彼にしてみれば、私は数少ない会話ができる相手と考えておられるのかもしれません。
いずれにせよ、このような他愛も無い会話をやり続けることで、双方、楽しく、そして荷物は安く、私もドライバーさんも「サービス」という共通項でお互い満足、というありがたい関係をここ数年、続けています。
ガススタンドの店員さんの例
いつも通っているガススタンドの店長曰く、昨今の原油高騰で、この業界はガソリンを入れるだけではバイトの給料も払えるかどうかの瀬戸際にあるとのこと。会社周辺には何軒ものガススタンドが並んでいるのですが、基本的に私は一箇所のこのスタンドでガソリンを入れたり、パーツを購入しています。
「少しでも安く」という考えは私にはあまり無く、それよりも懇意に、緊急時に助けてくれるスタンドの存在が不可欠と考え、一つのスタンドにお世話になると決めています。今年の夏も、突如としてバッテリーが故障した時、路上で路頭に迷いながらも、このスタンドに連絡。30分後、かなりの遠距離というのに、バッテリー交換に来てもらいました。もちろん、バッテリー代金のみでした。
このスタンドは、店長を始めとして店員さんのほとんどが顔見知りで、家族構成も十分に承知されています。家族旅行前の点検では、私の車を見送る時、「ありがとうございました!」という、どんなスタンドの店員さんが言う耳慣れた言葉ではなく、「お気をつけて、いってらっしゃいませ」と店員さんが皆で見送っていただきます。このちょっとした言葉の違い・行動だけでも気分は変わります。そして、またこのスタンドでガソリンを入れよう、いろいろとお世話になろうと思うわけです。
冒頭の証券マンの例はともかく、荷物を宅配便で頼む時、単にガソリンを入れる時、これらの基本的に単純な、マニュアル化もほぼ可能なサービスにおいては、サービスを提供する側、サービスを受け入れる側、それぞれほとんどお互い、会話が無いことが多いと思います。例えば、レンタルビデオやDVDを借りる時、レジカウンターで待っているバイトの彼ら、彼女らには、私も会話などは皆無です。私も積極的に会話することで何か得られることがあるとは考えておらず、突如として会話されたバイトの立場としては、マニュアルにもなく、対応しかねるでしょう。
ただ、会話をすることで、双方が良好な関係を構築できると考えた相手には、できる限り、積極的に会話を行い、関係構築を築こうと考えます。そして、できれば、日常生活のひとコマそれぞれ、断片一枚でも多く、積極的な双方の楽しい会話を持つ相手を持つことが、いつか、どこかで、何らかの形で公私いずれにおいても良い結果を生むと私は確信しています。
では、蛇足ですが、最後の言葉のやりとりの例を挙げて終わることとしましょう。
中学時代、今まで、行ったことが無い初めての散髪屋さんでの会話。おずおずと散髪屋さんの椅子に座った時の店員さんの冒頭の一言。
「お仕事のお帰りですか?」と散髪屋の店員さん。
「えぇ、今日は早く終わりました」と驚愕の発言に反論もできず、言葉通り無難な言葉で返した私。
昔から老けた顔とは、言われていましたが、いくらなんでも「お仕事の帰りですか」と中学生に言うとは、やはり私は余程、老けた顔だったのでしょう。私服通学も影響しているのかもしれませんが、仕事帰りの服装と中学生のそれなりの服装の区別もできなかったのか。
いずれにせよ、中学生時代よりも少しは会話が上手になっていることは確かです。そして、これからも積極的に、普通なら世間話をしないだろうと思うような方々と多くの会話をしようと考えています。これからの楽しい人生のために。
そして、そんな姿を見て、我が子供達や我が社の社員は、言われなくとも何かを汲み取っていくと期待もしています。
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木村秋則氏の「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」出演に思う
無農薬・無化学肥料でリンゴを永年、栽培されている自然栽培農家「木村秋則」氏。昨晩の時点で、「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」に第35回:2006年12月7日に「奇跡のりんごは 愛で育てる〜農家・木村秋則〜」と題して放映される旨が掲載されたため、木村秋則氏の無農薬リンゴ・リンゴジュースを「無農薬リンゴ自然栽培農家:木村秋則さんのリンゴ・リンゴジュース通販サイト」にて販売しているサイト運営の代表として多くの皆様に番組を見ていただきたく、私のサイトでもご報告いたします。
(「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」のリンクポリシーが不明なためリンクはしていませんことをご了承下さい。)
木村氏との出会い、そして青森時代
私が木村氏と出会ったのは1993年の冬。今から13年程前のことです。私の父親が大手ビジネスホテルチェーンの常務で、1990年頃、全国の各ホテルの巡回で、青森県弘前市にあるチェーンのホテルに行き、そこでリンゴやリンゴジュースを納品していた木村氏と出会いました。そして、リンゴ栽培で最も被害の大きい病害の一つである「フラン病」(病原菌によってリンゴの木が腐ってしまい、腐朽が急速に蔓延し衰退していく病気)に木村氏も困っているとの相談を受けたのですが、農薬を使用できないため、ワサビの抗菌作用を活用した塗布剤の開発に木村氏と父は着手。そして約3年後に製品化に成功。長男である私がこの塗布剤の販売・営業を青森で一人で開始したわけです。それが1993年の冬です。
(94年1月頃に塗布剤の工場建設で休憩中の私(写真右)と木村氏)
※「大峰様」ありがとうございました。写真左を写真右に修正いたしました。
雪国という初めての場所で私は生活を開始しました。当初の唯一の知り合いが木村氏でした。津軽弁に格闘しながらも、木村氏の紹介で様々な方々と出会い、商品の営業を少しずつ広げていきました。一緒に北海道の余市に行ったり、東北各県を車で何日もかけて泊りがけで回ったりと、塗布剤の販売に木村氏も協力いただいきました。
しかし、それよりも、多くの方々と毎晩のように酒を酌み交わし、酔いつぶれた木村氏を介抱する役目を当時、最も若かった私が引き受け、木村氏の奥様に車で向かいに来てもらうよう連絡し、「いつもスイマセンねぇ」という言葉を奥様が残され、大雪が降る中、去っていく軽自動車を見送るという何度も繰り返されたシーンは、今も忘れることができません。当時、木村氏は40代半ば、そして私は20代半ば。20年近く、年は違えど、愚痴をこぼしたり、その愚痴を聞く相手の一人が若い私だったのかもしれません。
逆に、娯楽も無く、そして人脈も少なかった当時の私は良く木村氏の畑に通っていました。そこで木村氏や奥様とお茶を飲みながら、世間話をすることで私なりのストレス発散の場になっていたのではと今では思います。農作業の手を休め、1時間ばかりの世間話にわざわざ付き合ってもらったことを改めて感謝しています。
青森滞在時代に私は結婚し、5人の子供の中で2人は青森時代に生まれました。初めての雪国生活、そして誰も知り合いがいなかった妻にとっても、木村氏を囲む皆様に、様々な場所に子供たちと一緒に連れて行ってもらいました。ただ、飲み会になるとあまり妻は居心地が良さそうには見えませんでしたが、これもまた良き思い出の一つでしょう。
木村氏の毎日、そしてリンゴの出荷
木村氏も一般の農家の方々と同様の生活をされています。早朝に畑に出かけ、朝食のために一度、自宅に戻り、また畑へ。そして昼食後、少し昼寝をし、日が暮れるまで農作業。このような毎日を土日、関係なく一年間続けられます。
ただ、秋の収穫時期以降、忙しさは加速化します。農作業と出荷を並行させねばならず、深夜までの作業です。毎年、木村氏から年賀状をもらいますが、いつも到着する時期は1月半ば。リンゴに正月は関係ありません。収穫後、冷蔵庫に保管したとしても少しずつ変化していくリンゴ。出荷作業は休みに関係なく続けなければならないのです。
毎日、スーパーで並んでいる農作物。リンゴも今、どこのスーパーでも各地の品種が販売されています。また農作物のネット販売なども盛んに行われています。ただ、「農家」という職業の方々にとっては、工業製品のように、注文に応じて生産調整することや一定の在庫を確保しておくことなどは基本的に不可能です。
我々は、スーパーで、毎日、並んでいるリンゴや他の農産物などを「欲しい時に欲しいだけいつでも買うことができる」と錯覚しがちです。しかし、農産物の裏側には、一年間、休みなく農作業と出荷作業を同時に行っている農家の皆さんが存在し、一度の台風や気象災害で、一年間の苦労が一夜にして消えてしまうというリスクを常に抱えられているということを忘れてはならないと私は考えます。
スローライフ・スローフードなんて作り手には関係ない
昨今、スローライフ・スローフードなどといった言葉が散見されます。そしてロハスといった言葉も。一時期はこれらの「言葉」の代表の一つとして木村氏のリンゴや彼のスタイルそのものが位置付けられていたことがありました。スローライフやスローフードといったモノを享受するのは大抵が作り手・担い手ではなく、簡単に品物を手に取ることができる消費側。作り手や担い手は、何年も前から同じことを繰り返しているだけです。しかし、ちょっとした、単純なきっかけから、「いつもの作業」や「作り出したもの」が、スローなスタイルに見え出し、スローなモノに変化していく。作り手も消費側も、明確な理由は分からず、モノの変化や見方に踊らされていく。これが今の日本の現状ではないかと私は考えます。
木村氏にしてみても、何十年も前からやり続けてきたこと。私が青森に滞在していた頃は、自然栽培のリンゴの収量は比較的、安定していました。防除(虫除け)のための散布剤として木村氏は「酢」を大量に使用されます。業務用の少し濃度が高い酢です。しかし、当時は「農家」ということだけで、商社と取引が出きず、私の会社が仕入れて木村氏に渡していました。当時はまだまだ失礼な表現ですが無名で、かつ「無農薬栽培=病害虫発生源」というレッテルが深くは語りませんが、まだまだ残っていました。
時代の変化と共に木村氏を見る眼が変わってきたことは事実でしょう。しかし彼の栽培方法や自然に対する思い入れは何一つ、今も昔も変化していません。
もう、「そっと」してあげて下さい
昨年、9月6日付けの全国紙夕刊に「土に学んだリンゴ作り」と題され、木村氏の記事が掲載されました。記事掲載直後に、当時も唯一、通販サイトをオープンしていた我々にネットで検索された方々からの電話が殺到しました。そして、過去に何度も木村氏を紹介していた私のこのweblogにも多くの方が来訪されました。その後は、ネットで各品種を販売するごとにすぐに完売という状態です。今年も同じ状況です。
この1、2年の間、多くの方々の依頼で、木村氏は様々な場所で講演や指導をされています。その間は、奥様が一人で畑を守られ、出荷作業を続けられています。リンゴ畑の見学も多数あり、結局はほぼ丸一日、作業ができません。10数年前から木村氏と交流している私としては、栽培指導以外は、木村氏に負担がかかるため、もうこれ以上、やめればどうかと何度かお話しています。
木村氏の戦場は、各メディアの場でも講演会場でもありません。彼の戦場は、「彼が何十年にも渡り、農薬が無くてもリンゴが結実するように変化したリンゴの木であり、リンゴ畑」なのです。彼の戦場で、彼だけが、リンゴや自然と向き合い、闘い続ける時間を減らすことの危険さを理解していただければと思います。そうでなく、今の状況が続けば、「本末転倒」の時がやってこないとは言い切れません。
奇跡のリンゴだからこそ多くの方々に
「茂木健一郎 クオリア日記: 奇跡のリンゴ」と題して、NHKプロフェッショナルの司会をされている茂木氏が11月3日付けて木村氏との対談の感想を書かれています。以下、一部引用です。
木村さんの気が遠くなるような畑仕事の
それゆえに可能になった奇跡に感謝し、
ぼくは目の前の木村さんに言った。
「木村さんのリンゴ、ネットで売り出すと
10分で売り切れてしまう、ということですね。
でも、もっと高くしていいですよ!
いいですよ! 都会の住民からはね、
それくらい取ってもいいんですよ!
それでも買う人はいますよ、このリンゴ。
それで、ロールスロイスでもベンツでも
乗ってくださいよ、木村さん!」
おっしゃる意味合いは分かります。理解もできます。しかし、私はネットで10分で売切れてしまうサイト運営の当事者で、私なりに思うことがあります。
誰かがどこかで、いつか名付けた「奇跡のリンゴ」。この言葉が独り歩きし、木村氏も把握できない程、様々な場所で様々な値段で販売されているという事実があります。すでにコントロールできない状態といっても過言ではないでしょう。
今年のリンゴの値段をどうするか、秋の収穫時期前に木村氏や奥様と相談しました。木村氏は一貫して10数年来、価格を大きく変えておられません。なぜなら、「せっかく懸命につくったリンゴだから、誰でもが買うことができる値段で多くの人に」というスタンスだからです。「奇跡のリンゴ」と名付けられた今だからこそ、「誰もが買うことができる、誰しもが納得がいく値段で多くの方々に食べていただくこと」を変えないこと。このことが大切という考えは、私も同感です。逆に「奇跡のリンゴ」で滅多にしか手に入らない貴重品だから、「買い占めて高く売る」という誰しもが考える行動は、結局、いつか破綻に陥ると私は考えます。そういう世界と正反対の場所にいる方が木村氏です。そうでなければ、何年間もリンゴを収穫できない間を耐え抜くことをできたはずがありません。耐え続けた時に支えた彼の友人やお客様、十数年も前から少しばかり高くとも木村氏のリンゴやリンゴジュースを買い続けた方々の協力や応援があったからこそ、今の木村氏が存在していると私は考えます。
最後になりますが、これからも末永く木村氏のリンゴ栽培を支えたく、できる限り、重複になりますが「彼の戦場であるリンゴ畑という舞台」で、できる限り、毎日、闘う時間を確保することができるよう、これからは静かに応援していただければと僭越ではありますがお願いしたいと存じます。
サン・アクト株式会社 代表取締役 小島愛一郎
「無農薬リンゴ・リンゴジュース」
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「ストレスト・ノーニー・E」とネーミングの重要性
頭痛薬が切れかけていたため、昨晩、自宅近くの顔なじみの薬局に出かけることに。この薬局は、処方箋調剤薬局なので子供たちもお世話になっており、いつも出かけた時は、「お子さん、風邪とか大丈夫ですか?」と気にかけてもらっています。ちなみに、私が通う近くの病院でも、先生の第一声は「子供さん、大丈夫?」であり、私は二の次といった感じです。いずれにせよ、自宅界隈ではやはり「5人の子供を持つ家族」ということで、それなりに有名なことは事実です。
さて、薬局で頭痛薬を買うついでにカウンターを見渡すと「試供品・無料」というちょっとしたコーナーが。以下、顔なじみの店員さんとの会話。
もらったサプリメントの説明をみると「高コレステロールでお悩みの方に」と書いてあり、まったく該当しない私はカウンターに戻すことに。さらにカウンターを見ると「ストレスでお悩みの方に、すっきりと・・・」といったサプリメントを発見。
「こっちをもらってもいいですか?」と私。
「でも一粒だけでは、本当に効果があるか、飲んでもわからないなぁ」とつぶやく私。
「4つだけでは、まだ効果があるかどうかわからないなぁ」と私。
その時、ちょうど店長さんが現れ、「いつもありがとうございます。お子さん、お元気ですか?」といつものフレーズが。
「いやいや、このストレス解消、頭がすっきり、というこれを試したいのですがねぇ」としつこい私。
「どうぞどうぞ、一週間分もらって下さい。」と店長。
「いや、どうもスイマセン。ちゃんと次回、頭がすっきりしたかどうかご報告しますので」と私。
「ところで、この試供品、商品自体はいくらするのですか?」と私。
「すいませんねぇ、実は店には置いてないんですよ、今は」と店長。
なるほど、このような状況なら、いくらでも試供品を渡せるな、と考えつつも、今朝、会社で一粒試してみることに。その前に、じっくりと中身を確認。まず試供品のネーミングに少し驚きました。それが「ストレスト・ノーニー・E」=「ストレスと脳に良い」という強烈かつあまりにもダイレクトな商品名。
少々、ネットで検索したところ、次のような説明が。
青魚に多く含まれるDHA・EPAと大豆に含まれるホスファチジルセリンに、イチョウ葉エキスをプラスした保健機能食品。
いつもスッキリした頭でありたいビジネスマンや受験生・お子様、ご年配の方におすすめです。
まだ一粒しか飲んでいないので、スッキリした頭になったかどうか分かりませんが、上述したように「ストレスト・ノーニー・E」とは何ともダイレクトかつ容易には忘れることが無いネーミングであることは確かです。
過去にも何度か書きましたが、我々が開発した樹木の切口などに防菌用に塗布する「樹木の味方」。これは私が10年以上も前に考えたものです。競合商品である農薬系塗布材は、すべてカタカナで本当は違いますが簡単に言うと有効成分(薬剤)を商品名にしています。例えば、「トップジン・M・ペースト」・「ベフラン塗布剤」など。
「樹木の味方」は、当初、青森のリンゴ農家向けに販売しており、青森滞在時に、何とか名前を覚えてもらいたいということで付けた名前が「樹木の味方」。単純に樹木の味方になる商品ですよ、という意味合いが込められており、パンフレットにも「一木瞭然」と「一目瞭然」に似せたコピーを付けていました。
(「樹木の味方」の基礎技術は、日本や米国などで特許取得しており、商標登録もしており、お蔭様である程度、日本各地に定着してきました。)
ちなみに樹木でなく盆栽専用の塗布材も開発して欲しいという盆栽趣味家(愛好家とは言わないのです、盆栽の世界では)の要望にお応えして開発したものが「盆栽の味方」。「樹木の味方」のラインナップの一つという位置づけで、色や粘度を盆栽向けに変えてあります。
(開発には、中小企業総合事業団(現在の中小企業基盤整備機構)の新事業開拓支援助成金ですべてを拠出いただきました。この場を借りて関係各位に改めて御礼申し上げます。)
少し論点がずれますが、今では誰もが知っている「Amazon」。こちらもブランド戦略会社に頼み、このネーミングにしたそうです。ご承知のように「書籍のネット販売」でスタートした「Amazon」ですが、書籍販売だけなら「bookstore.com」などにした方が分かりやすいわけです。しかし、将来的なビジョンとして何でもネットで販売するという方向性を創業者は開業当初から抱いておられたようで、何があるか分からない「秘境」をイメージし、「Amazon」となったわけです。今では、完全に定着した「Amazon」というブランドですが、やはりそれなりの深い考えがネーミングにも隠されていたわけであり、ネーミングあるいはブランド戦略の重要性を示す一つの事例といえるでしょう。
さてさて、話は「ストレスト・ノーニー・E」に戻りますが、一週間飲み続けて効果があるかどうか楽しみです。大きな変化が私の頭にあるとは思えませんが、信じれば効果があると思えるかもしれません。ちなみに「樹木の味方」・「盆栽の味方」は、効果が現れるまで最低でも3ヶ月は必要となります。こちらは樹木という生き物相手で仕方が無いのですが、頭の痛い話です。
以上、ここ数日間、ブログ更新すら忘れるほど、仕事に没頭していた私の久しぶりのエントリでした。
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ある公園での言葉と想い
日曜日に5人の子供たちを連れていつもの近くの公園へ。様々な言葉が公園では飛び交っていた。
公園のブランコは青・ピンク2つずつ。娘はピンクに常に乗りたがる。しかし三男坊・四男坊という先客がピンクのブランコを独占していた。娘は四男坊にブランコを代わってとお願いする。しかし、四男坊は「嫌!」と言う。そこで三男坊が言った。
ブランコは逃げないよ。
いつも公園にあるよ。
一人でぶらぶらとしながらね。
公園で遊んでいた他の子供たちの言葉
公園では次男坊の同級生の子供たち4名、そして私の知らない子供たちが3名程度遊んでいた。見知らぬ子供たちが「うざい!」・「死ね!」といった言葉を冗談交じりに話していた。
「うざい」という言葉は関西では使わない。関西人で使う最も近い表現は「うっとおしい」だろう。少なくとも私が学生の頃、「うざい」という言葉は使わず、知りもしなかった。私の子供も「うざい」という表現を家庭でしていた記憶は無い。
「うざい」なんて言葉を関西の子供はなぜ知っているのか。少し、想像は付くが、はっきりとしたことは分からない。
ブランコの次は「滑り台」。娘だけは一人で遊ばせるには、まだ危険な年齢。長男を筆頭に全員で固まって滑り台から滑るような遊び方をしていた。いや、私が長男に、「危ないからみんなで滑り台で遊んで」と頼んだというのが事実だ。
途中、娘だけが滑り台の上で、少しふらふらと危ない状況に。すぐさま長男が言った。
そして長男は娘をしっかりと抱きしめた。
私が小学生高学年の時に「自殺」などという言葉を発した記憶は無い。恐らく「自殺」という言葉さえ知らなかったのではないだろうか。長男に「どうして自殺なんて言葉を知っているの?」と一瞬、聞こうかと思ったがやめた。
数時間の公園での遊び。しかし様々な年齢の子供たちが様々な言葉を発している。その会話の隙間に僅かばかり、世相を反映した、あるいは無意識のうちに日常の会話の一つになってしまった「言葉・単語」がある。
私の時代と違い、情報は様々な場所で得られることができる。また私や親の知り得ないところからも情報は発信されている。情報源を無くすことは無理であり、情報の取捨選択が可能になるリテラシーを持たすことも一朝一夕では無理な話。
ただ、日々の子供たちの何気ない会話の「言葉」一つ一つに静かに耳を傾けることで、少しは彼ら彼女らの変化を見抜くきっかけになるかもしれない。そして、我々、親も何気なく話す「言葉」を少しは選びながら発していく必要があると、公園で遊ぶ子供たちを見ながら考えていた。
高校生の履修漏れ事件
まったくこのエントリに関係ないが、単独エントリにするには私なりの情報源が無いということ、そして言う立場に無いため少しだけ雑感を書く。
これから履修漏れに該当する高校生は補習やレポートを書くことで卒業への道を歩むとのこと。私は、「学ぼうという意欲が無い科目」について、卒業や大学へ進学するためだけに時間を割くということは、無意味だと思う。「世界史」という教科ではなく、どんな教科でも意欲が無い状態で学べば時間の無駄になるということだ。せっかく時間を割いても記憶にも残らないのではと思う。そして「先生方も積極的に教えようという意欲も無いのでは」と思う。きっと、このことは誰しもが、そして高校生自体が理解していることなのに、大人のやり方が押し付けられている。
最後になるが、専門的な知識を学びたい、あるいは専門的な資格を取りたいなどの明確な意志を持っている高校生は大学や短大などに進めばよいと私は思う。進むべきかもしれない。ただ、「漠然と大学に行く、大卒でなければ」としか思っていないのならば、大学には行かなくても良いと思う。親に言われたとしても。ましてや「進学校」というレッテルを高校という組織が持ちたがっているだけなら、大学なんて行かなくてもいい。
大学に行っていなくても、大学を卒業していなくても、豊かな人生を歩んでいる人を私はたくさん知っている。そして、これだけは断言できる。「有名大学に行ったからといって良い経営者になれることは無い」ということを。私がその最たる良い例だ。
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卓越した僧侶の方々が自ら経営を説くという驚愕する逸品。新たな視点に経営者必読です。
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